石田三成・小西行長などの処刑場だった六条河原の情報を掲載しています。

石田三成・小西行長などの処刑場だった

六条河原

六条河原は古くから時の権力者に反抗した政治犯たちが数多く処刑されています。
保元の乱における源為義・平忠正、平治の乱における源義平・藤原信頼、 治承・寿永の乱(源平合戦)では平能宗・藤原忠清、 本能寺の変における斎藤利三、関ヶ原の戦いにおける石田三成小西行長・安国寺恵瓊、 大坂の役における長宗我部盛親・豊臣国松らをはじめとする豊臣方の残党など 著名な武将や政治家がここで最期を迎えています。
処刑後、彼らの首級は全て三条大橋のたもとに晒されています。
スポンサードリンク

なお、平宗盛・平清宗親子は近江国で処刑された後、六条河原にて首を晒されています。
三条河原と同じくこの六条河原も大勢の惨殺死体とその血がしみ込んだ地のようです。
スポンサードリンク

↑ PAGE TOP