石川五右衛門の処刑場であり首のさらし場、三条河原の情報を掲載しています。

石川五右衛門の処刑場であり首のさらし場

三条河原

現在この鴨川の川べりは散策の場所です。とくに三条大橋のたもとの河原は京都人の憩いの場となっています。
しかし、ここはかつて「三条河原」と呼ばれた処刑場、首のさらし場所でした。
ここで処刑された有名人を挙げてみると、石川五右衛門 - 安土桃山時代 1594年「釜茹での刑」に処せられたことは有名です。
近年、実在の人物であると確認されているようですが、息子と一緒にこの三条河原で処刑されました。
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更には、豊臣秀次と、その妻子側室侍女 が1595年秀吉より謀反の疑いをかけられ 高野山で切腹した後、三条河原へその首が運ばれました。
そして首が据えられた前で妻子侍女など39名が処刑され、秀次の首と共に1か所に埋められました。 現在、瑞泉寺の境内にみせしめ塚があり菩提を弔っています。
石田三成は1600年の関ヶ原の戦いに敗れ、捕らえられ六条河原で斬首刑となり、 三条河原で晒し首にされました。
近藤勇 - 新撰組局長は1868年4月25日、板橋刑場(武蔵国板橋宿付近)で刑に処せられたあと、 首が運ばれ三条河原で晒し首となりました。
この憩いの場所、三条河原はじつは大勢の屍の上にあると思うと背筋が凍るね。
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